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七尾城(ななおじょう)は島根県益田市七尾町にあった日本の城。城跡は、同市三宅町にある三宅御土居跡とともに国の史跡「益田氏城館跡」に指定されている。 == 概要 == 七尾城は、石見国の国司として鎌倉時代(建久年間)に益田荘を本拠とした益田氏の城。歴代の益田氏が居館とした三宅御土居など〔その他、上久々茂土居(益田市久々茂町)や大谷土居(益田市大谷町)が益田氏代々の居館跡と推定され、時代と共に移転(益田川の上流から下流へ)してきたと考えられている。〕の詰めの城として、標高約120mの七尾山に築かれた。山頂の本丸跡(標高約118m)からは益田平野から日本海までを一望できる。なお、三宅御土居跡とは、益田川を挟み870mの距離がある。 発掘調査により、大小40あまりの曲輪・空堀・土塁・井戸跡などが発掘された〔益田氏城館跡 - コトバンク〕。さらに、戦国時代後期のものとされる礎石建物や遺物が多く出土しており、毛利元就と対立した頃には益田藤兼と家臣たちが居城とするなど、戦時のみに使われる城郭という従来の山城のイメージを塗り替えるものである〔住吉神社参道の案内板「益田氏と七尾城」 - 心に刻む益田十景〜七尾山、住吉神社と自然散策道〜(益田オンリーワンクラブ・益田市・益田観光協会)〕〔益田氏城館跡国史跡指定 - 益田歴史を活かしたまちづくりの会〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「七尾城 (石見国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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